国道142号線 蓼科町の芦田宿と長和町の長久保宿の間にある笠取峠は、きれいな松並木と紅葉が楽しめる観光地です。
暑さと疲れでついついかぶっていた笠をとってしまうことから、笠取峠と呼ばれるようになったそうです
諸説ありますが、大きく立派な松並木は暑い日でも笠をとって歩けるほどだったり、厳しい坂道(標高887m)を登ってきて疲れてしまい一休みの時に笠を取らずにいられない事などからこの名前がついたそうです。
命名の諸説が豊富で謎
かつて江戸時代の頃には「かりとり峠」と呼ばれ狩鳥峠または狩取峠とあったそうで、1823年(天保3年)の長窪宿明細町に笠取峠と記されていたようで、この地にあったお茶屋「小松屋」の宣伝版画(今でいうチラシ)に笠取峠と記されそれが広まったと云う説もあるそうです。
他にも、いろいろな命名にまつわる説のある峠ですので、調べてみるとおもしろいかもしれません。
紅葉がきれいな隠れスポット
笠取峠は、とてもきれいな紅葉を楽しめるスポットです。
地元の人も多く訪れる人気スポットで、松並木の緑と紅葉の色がとてもきれなで風情を感じます。
駐車場の近くには東屋があったり、松並木を歩くと景色が眺めが変わって、撮影を楽しみに訪れる人もいるほどです。
笠取峠へのアクセス笠取峠へのアクセス
とても長い松並木
松並木は1.6kmものとても長い松並木です。
しかも作ったのは住民です。
この松は、小諸藩が幕府から下付(官から民へ支給などで移されること)された数百本もの赤松を近隣の村人の手なども借りて植樹し、その後も大切に手入れや保護をしてきたそうです。
この美しい松並木は、浮世絵師 歌川広重の描いた「木曽街道六十九次」にも描かれるほど立派な松並木です。
現在は、110本ほどになってしまったそうですが、大正13年の調査では229本もあったそうです。
まとめ
笠取峠は、通り過ぎてしまうような少し気が付きにくい観光地ですが、とても歴史ある観光地です。
慶長9年(1604年)幕府から一里塚と並木を整備する名が出され、小諸藩が幕府から下付された赤松を村人たちの手で植え、約1.6km(当時の表し方だと約15町)もの長い距離の立派な松並木だったので歌川広重の浮世絵 木曽六十九次にも描かれるほどだったそうです。
また、秋には紅葉が美しく松の緑色とのコントラストは大変きれいです。
歴史を手繰りながら訪れるととても興味深くお楽しみいただけるかと思います。