散策をしていると、多くの場所に幾つかの石碑や石像がまとまって建てらています。
日々の生活を願って民間信仰などから建てられた道祖神や、荷を運んだり農業で生活に欠かせない馬や畜生を祀った馬頭観音など、いろいろな想いや感謝を込めて建てられたものです。
多くの観光地に石像群やまとまって建てらっている場所、辻や塚に建てられた石碑を訪ねて歩くと、古の庶民生活の一片が見えてきます。
道祖神
道祖神とは、村境や峠、辻など道路脇に建てられた石碑や石像で、村に邪悪なものや疫病などが入ってこない様に建てられたものです。
やがて、旅の安全を祈願したり、豊作や縁結びなどの祈願をする様になりました。
道祖神が建てられるようになったのは、江戸時代後期から明治初期の頃と言われて、表面に「道祖神」と文字で彫られた物や、男女が手を繋いだり肩に手を回したり、中には盃を交わしている姿が彫られたものなど、多くの種類があります。
彫刻されている男女の姿はとても仲睦まじい姿や可愛らしい姿などとても愛らしい姿であったり、デザインされた様な書体であったりして、道祖神を見て歩くのも楽しいです。
長野県では、たいへん多くの道祖神が建てられていて、安曇野には約400体もの道祖神が建てられていて日本一の数だそうで、松本市の旧農村部にも約370体も建てられているそうで、上伊那郡辰野町には最古の道祖神があるとの説もあります。
庚申塔
庚申塔(こうしんとう)とは、庚申塚(こうしんづか)とも呼ばれ、庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことで塚の上などに江戸時代初期頃から建てられるようになったそうです。
庚申信仰とは、平安時代の頃から続く古い信仰で、中国道教を説く三尸説をもとに、仏教、密教、神道、修験道などに民間信仰などは複雑に絡み合った複合信仰です。
そして、信仰の中で庚申の日に集まりを行う「講」と言われる「庚申講または庚申会」を3年間18回続けた記念に建てられたのが「庚申塔」です。
表に漢字で「庚申塔」と記された塔や、干支で申は猿に例えられることから猿の彫刻がされた塔などがあります。
塞神として、村境や街道沿いなどにも建てられてましたが、明治時代以降なり庚申信仰は迷信と位置付けられたのに併せて道路整理などで、庚申塔が撤去されたり自社の境内などに移転されたものが多いそうです。
塞神=村や部落に邪悪なものが入り込まないように防ぐ神様のこと。
馬頭観音
馬頭観音(ばとうかんのん)とは、字からも連想される様に、民間信仰では馬の守護仏として祀られ、さらに畜生全てを救う観音様と言われてます。
仏教では、六観音の一尊にも数えられてますが、観音様では珍しいたいへん恐ろし怒ったお顔をした姿(憤怒の相)で、3つのお顔に第三の目もある形相が伝わっている宗派もあるそうです。
江戸時代の頃などから、馬が荷を運んだり移動になどに使われるようになって、旅先で亡くなった時や馬捨場(芝先、草場、根除堀、死獣捨て場など)などに、供養のため馬頭観音が建てられるようになり、今でも大切にされているようです。
表に「馬頭観音」と漢字で彫られたものや、馬と観音様の姿を彫ったものなど、各地で多く見ることができます。
観音の姿(怒り、憤怒の相)が強い(怖い)ほど人々を救う力が強かったり、馬が大食いである事から人々の苦しみや悩みなども食い尽くすと言われ、民間信仰や日々の生活の中でも近いところにある観音様の様で、多くの地に馬頭観音の石碑が建てられているそうです。
まとめ
長野観光をしていると、多くの道祖神やお地蔵様などを目にします。
安曇野周辺では道祖神が多くありますし、農作が盛んだったり宿場街の近くなどでは馬頭観音などが多く目にします。
荒削りな彫刻だったり、素朴な姿や生活の様子であったり、とても味わい深い景色です。
人気スポットだけでなく、地味だけど長野県らしい観光を楽しみたい人には、ぜひこの様な石像や石碑を探して歩く旅をおすすめします。