象山地下壕と言うより「松代大本営」と伝えた方がピンと来る方が意外と多くて驚きました。
象山地下壕とは、長野市松代町の舞鶴山を中心に象山や皆神山の地下に掘られた地下壕です。
碁盤の目のようにきれいに掘り抜かれていて、全長は約10kmにもなるそうです。
なぜ松代に大規模地下壕が
第二次世界大戦(1939年〜1945年)の末期、日本本土での決戦に備え、拠点となる大本営と各省庁を移すために設けたのが、この象山地下壕です。
1944年(昭和19年)11月11日から翌年8月15日(終戦の日)までの間に計画の約8割ほどが掘られたそうです。
当時のお金で1億円とも2億円とも言われる巨額を投じ、日本や朝鮮の人々が強制的に動員され突貫工事で進められました。
1日2交替や3交替で、300万人もの人たちが削岩機やツルハシ、トロッコや土を担いで運ぶモッコなどの手作業と発破などで昼夜を問わず作業を行なったそうです。
なぜ松代に
なぜ松代が移転先に選ばれたのか、ネット検索してみたら、次のような理由のようです。
1 東京から離れていて、飛行場もあるから
2 地質が硬いから
3 労働力の確保に適していたから
4 山に囲まれ安全だから(要害の地であった)
5 広さを確保するのに適していたから
6 信州=神州に通じるから
松代の他に、松本、諏訪、飯田、上高地なども候補になったそうです。
他にも地下壕があった
象山地下壕の他に、須坂市にも十三崖地下壕と呼ばれる地下壕があります。
こちらの地下壕は、象山地下壕を守るための弾薬などを保管する予定で掘られたそうです。
1945年(昭和20年)、約1000人の将兵、地域の住人約10000人、中野農商学校の生徒らが動員され、昼夜3交替の突貫工事で掘り進められたそうです。
最初は、臥龍山の地下に掘る予定だったそうですが、地質が悪かっため十三崖に変更して工事が行われたそうです。
まとめ
象山地下壕は、調べるととても興味深いスポットです。
戦争の歴史を後世にに伝えるためにも、きちんと保存して多くの人に知っていただきたいと思いました。
壁には、木の楔(くさび)やツルハシなどの掘った跡が残っていて、当時の苦労が伺えます。
地下壕の中は、舗装などされてないのでサンダルやかかとのある靴、底が厚かったり柔らかい靴ですと危険ですし、近くに駐車場がないので、少し歩くようになりますので、スニーカーなど動きやすく安全な靴で行くのが良いでしょう。
また、夏でも気温が低いので女性の方は薄い上着があると便利かもしれません。